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満月の夜だけの-28-



 火影邸には予想通り、テンゾウが立ち塞がった。登り階段の手前で仁王立ちした特殊部隊とカカシが睨み合いをしていると、背後から火影の付き人の声がかかった。
「……お二人とも、こんな時間になにをされているんですか?」
 付き人のシズネであった。どこかに出かけていたのか、シズネは風呂敷包みを抱えていた。カカシは彼女からいつもの毒物や薬剤以外の匂いを微かに嗅ぎ取った。シズネには、ほんの僅かにイルカの体臭が移っていた。カカシは剣呑な気を解いたが、苛立ちまで隠せずそれは声色に出た。
「五代目に……いや、イルカ先生に会いに来たんです」
 シズネは大して驚きもしない。そうですか、と頷いて先に立って執務室への階段を昇っていく。昇りながらちらと振り向くと、カカシに言った。
「そろそろ嗅ぎつけられるころだと思ってました。綱手様がなんと言おうと、お二人は恋人同士ですものね」
「……はい?」
 なぜだか大きな誤解をされていたので、カカシは後をしっかり着いて来たテンゾウと眼を合わせてしまった。



 イルカは水音で眼が覚めた。腹筋に力を入れると上半身を少しだけ浮かせることができたので、見える範囲で部屋の隅まで覗った。左側に出入り口はわかっていたが、足の方向の壁に小さな水場があるのをはじめて知る。流しの縁に手をかけ、背中をこちらに向けて立っているのはシズネだ。彼女の向こうで湯の蒸気が立ち上っていた。
 イルカの動作に気付いたか、シズネはゆっくりと振り向いた。
「起きたのですか?」
 バケツに湯を張っていたらしい。蛇口を捻る音がして水音が止まる。枕元に寄って来たシズネは、小さなテーブルにのった四角いトレーを示してみせた。
「流動食を持って来たんですよ。すぐ胃に入れても大丈夫なものだけですから……」
 イルカの返事を待たずに、シズネは吸い口と蓋の付いたステンレスのコップを口元につけてきた。一口ゲル状の食料を啜った途端、忘れていた飢餓は復活し、口唇の間に挟まれた三種の吸い口を代わる代わる全部飲み干した。地道に続けられている輸液のせいで回復しているのだとわかっていても、胃にものが入ったおかげでいまだ残る脱力感が癒えていくようだった。
「今日は手足がだいぶ動くようになると思います。明日にはほとんど元通りのはずです」
 カカシの話を出されるのがいやで、イルカは眼を合わせぬようにして頷いた。
 額に熱いタオルをあてられたことで、自分が長い間ひどくぼんやりしていたのに気付く。記憶の空白ができている。空にした流動食の容器は片付いていた。シズネが片付けた様子を視なかったから、少しだけ眠ったのかもしれない。シズネはベッドの脇に立っていて、例の如く、顔から拭いはじまっていた。
 上掛けを除けられる。熱と湿気を含んだタオルの感触が、前よりも更に克明に感じられる。首筋を圧迫する力が強く思う。鎖骨から胸、腋窩を擦られるのは痛いくらいで眉がひそまった。心なしか手つきが乱暴に見え、シズネもとうとう嫌気がさしてきたのだろうと考えた。それはそれでしかたのないことだ。粗雑に扱われてもなんの文句のつけようがない。そうかと思うと、タオル地が胸板をやけにゆっくり上から下へと滑るので、勘違いかとも考える。
 ふと布越しにシズネの指先が微かに他より突き出た肉芽にひっかかる。指が偶然とは思えぬ強さでそこを掻いたような気がして、イルカは眼を見張りシズネを覗った。シズネは下を向いたまま無表情に手を動かしている。やはりいつものシズネとどこか違うような気がした。
 臍の辺りの擦過が下肢に移った。膝裏を掴まれる。シーツの上を下肢が横に滑り、腿の内側を露にされた。身体を拭かれるのは記憶では三度目だったが、これまでとは順序が異なっている。膝頭に向けて腿を拭われる。大腿の付け根をその都度擦られる。膝を外側に執拗に開かれるのは、回復具合を確認するためかと考えたが会陰の際を指で押された瞬間、違和感は濃くなった。
 いつもなら背中が先だ。そこは最後の筈だ。だがそれを抗議してよいものか戸惑ううちに、もっとも恥ずかしい部分をタオルの上から掴まれた。かぶせた布の上から形をなぞられる。それでもイルカは何か言うのが躊躇われされるがままでいた。
 おかしな想像にかられるのは不真面目だ。触れられれば自然なことと前に言われたが、実際問題として触れている相手が彼女であることは官能を誘わなかった。強く感じるのは羞恥と所在のなさ。早くそこから手を放して欲しいという願いにつきる。
 けれどが指で付け根に輪を作られた瞬間、シズネの意図を疑った。シズネはイルカを見ない。息を一つ呑むうちに、ヌルリと薄い皮が上へと持ち上げられた。唖然としてイルカの息が詰まる。呼吸に喘ぐうち下へと引き下ろされ根元を締め付けられる。それを二度、三度と繰り返されれば、さすがに彼女の動きが拭くという名目から外れているのが判って動揺した。
「シ……シズネさっ……」
 シズネはイルカの声がまるで聞こえぬように、固定したような表情で裏筋を爪で掻く。指の腹で直に萎えた亀頭の丸みを擦られる。管を刺されたままの窪みが痛い。陰嚢の中身に指が埋まる。異物の貫通を表から辿るように袋を圧迫されて持ち上げられる。
 これは親切のうちなのか。雄の矜持を知るゆえの慰めか。自分への好意を口にした前日のシズネの女としての顔を思い出し愕然とする。無反応と評されたのが謗りであったなら、あれは女としてシズネが許せぬ類のものだったのだろう。彼女とは成り行きでも交渉を持つことは考えられない。医術的に試されることもごめんであった。
 逃げ出したい。だがイルカはまだ下肢が自在に動かない。踵が僅かにシーツを蹴る。股関節がやっと僅かに持ち上がる。今の精一杯の力で脚を震わせる。冷めつつあったタオルはよけられて、代わりに生暖かいものが先端に当てられる。シズネの舌だった。
 イルカは生理的に虫酸の走る口から細く悲鳴した。首と腹筋の力でなんとか上体を少しだけ起こし、肘を張り、首を振れるだけ振って拒絶したが既にやわらかな薄皮を口唇で吸い上げられている。歯列が幹の側面を噛んでくる。先端が踊るように振れたのは、官能からではなく動物的な反射のようであった。嫌悪を感じるだけなのに性器には嫌でも少しずつ血が集まってくる。だがそれでもその直接的な刺激に淫靡な熱は生じずに、極限に至らぬのは予想がついた。その程度の興奮であることこそ恥ずべきことだと気付いて静止の声が出る。
「シズネさん、頼みますからっ……」
 イルカに返ってきたのは冷笑だった。シズネのものではない低い声音である。忍び笑いに嘲りをのせてイルカを揶揄する音は、火影の付き人のものよりも耳に慣れ親しんできた声だった。
「……そうやってお願いして、一度くらい彼女に抜いてもらったんですか?」
 イルカは眦がきれるほど目を見開いている。にも関わらず視界が暗くなる。唇が慄き一瞬、声も出ない。身体中の汗腺が一斉に開いて冷水のような汗が吹き、かたまった。
「……だったら妬けるな。この身体は俺の大事なものなのに」
 眩んだイルカの目前でうっすらと煙が揺れた。部屋の形が歪んだように見えた。陽炎のようにシズネの輪郭がぶれ色彩が滲む。次の瞬間、シズネの輪郭は捻じ曲がり、別人の顔となりイルカを見下ろしていた。
「カ……ぁ、あっ、はっ」
 イルカは名を舌にのせ詰ろうとしたが、出たのは悲鳴であり嬌声であった。シズネの指と舌が違う相手のものにすり替わったことに、気絶するほどショックを受けながら一気に煽られていた。薄い皮と粘膜が感じるのは関節の節の高さ。指の長さ。舌の幅。弾力。当たり具合も力加減もなにもかもをそこが覚えている。反芻するほどにシズネのものとは違う。この世でイルカが初めて知った他人のものだ。一番会いたくない男のものだった。
「な、んで……ここにっ」
 疑念がイルカの呂律を危うくする。目を疑い瞬きするが、見間違いようもなかった。額宛もせず口布もなく、アンダーの上下だけ、まるで自室にいるような軽装でカカシがいた。存在を消すために眼を瞑ったが、手甲をしていない生々しい素手が急所を捕らえたままで存在を知らしめる。植えつけられた官能が体の芯から呼び覚まされるのが恐ろしくて、歯の根が合わずに言葉が続かなかった。
 カカシはあっけらかんと言った。
「なんでって、尋問ですよ。 五代目は俺には会わせたくないようだったけど、口を割らせることを条件にここに入れてもらったんです。さっきシズネさんと入れ替わったの、気付きませんでした?」
 イルカは悟った。少し前の記憶の空白はカカシの仕業だったのだ。
「な、なにも……五代目に言った以外のことは……隠してない」
「そうかな? なら、なんで俺がかけた幻術のこと黙ってたんですか?」
 カカシは手の動きを止めていた。それなのに、蘇る記憶と欲望にイルカの力の足りないはずの場所が秒刻みに硬くなる。うろたえても熱を逃す術はない。
 手の中の反応に気付いたカカシは微かに笑ったようだった。静止していた指が、ほんの僅かに動く。くびれをなぞるように這わされる。数ミリの擦過がひどく応えて顎が上向いていく。洩れそうな喘ぎを唇を噛むことで耐える。震える下肢も、反りを増す肉の角度も見られたままでは虚勢も張り切れなくて、自在に動かぬ背筋も浮きそうだった。対して腰にはひどい重力を覚えている。邪で厭らしい期待が生殖器の奥に溜まっていく。それはイルカにとっては溝の底に沈殿したヘドロのように汚く毒よりもたちの良くない悪臭を発するものだった。
 カカシの喉が可笑しさに、さも耐えられないというように、クッと笑った。
「へぇ、萎えないね。シズネさんの手より、俺のがいいの? 顔も見たくない俺にこんなことされてどういう気分ですか? 俺のことは恨んでても、俺の手は気に入ってる? 俺がここにしてあげたことは身体が覚えてるわけだ」
 昂ぶったことをはっきり揶揄される。カカシと知って狼狽しながらも、身体の興奮は正直すぎた。捌け口の塞がれた欲望がグツグツと滾っていく。全身が湿っている。冷汗は疾うにひき、かわりに体温を上回る熱い汗が噴き出している。
 イルカは熟れて赤みの帯びているであろう自身を視るのはなんとしてもいやで、チャクラを抑える枷付きの腕を持ち上げた。左腕は輸液の管を引きずりながら、右は鉛の如き重さを酷使して。ようやく上げた両手で閉じた瞼の上から更に視界を覆う。引っ張られた輸液の管が上から下がる点滴瓶を踊らせ、タプンと薬の波打つ音がした。渾身の力で尻を浮かして捩ったが、カカシは捉えた場所から手を放さない。
「……ねぇ、あなたはさ、夜の夜中に病院に忍び込んで、瀕死の俺を見つけたら寝首でも掻く気だったんですか? そんなに俺の息の根を止めたかったですか?」
 事情は全て知らされているのだろう。直球の詰問が投げかけられる。イルカはカカシの問いにすぐには応えられない。まず唾液で喉の渇きを潤さねば言葉が出てこなかった。高い温度の息が気道を行き来するから、喉を焼いてしかたがなかったのだ。乾ききった粘膜を潤して懸命に声を搾り出す。
「あ、あなたの訃報を、待って、いられなかった」
「それは聞きました。俺が生きて帰って来てさ、さぞかし残念だったでしょうね」
 突然、乱暴に陰茎を揺すられる。鈴口を貫く管が膨れた陰茎には煩わしい。否応なく不快がひと種類のものに収束してしまう。もはや忌むべきはカカシに性器を嬲られることではなくて、捌け口を異物で塞がれているもどかしさであった。
「今さら言い訳に聞こえるだろうけど、こんな風に動けないあなたを一方的にいいようにするのは俺には簡単だったんですよ。でも俺は我慢してた」
 カカシはそこで一つ息継ぎをしたようだった。溜息のようにも聞こえた。それからしていることとは無縁な沈んだ声で言った。
「いったい、なにやってんですか。俺じゃあるまいし五代目を怒らせるなんて、あなたらしくない。一歩間違えれば廃人だったって、わかってんですか?」
 糾弾めいたセリフの最後の方が、啜り泣きのように聞こえて驚いた。動けぬイルカの急所を握っているのだからカカシは優位にいる筈なのに。
 素肌の胸のちょうど心臓の上に不意に重みが加わったので、イルカは閉ざしていた瞼をおそるおそる持ち上げて、指の隙間からカカシを覗った。羞恥と恐れと快楽とで、弛んだ涙腺から滲む涙が、まるで心臓の動きを確認するように片耳を胸に当てるカカシの表情に、紗をかけている。一つ瞬きして溜まった雫を目尻に追い出すと、カカシの唇が何かを言い淀んでいる様子が見て取れた。
「……俺の、イルカ先生が、無事でよかった」
 イルカは搾り出すように告げられて困惑した。いくら罵っても拒んでも、自分を嫌わぬカカシが不思議でならない。
 カカシの灰色の目の下は、二月前より深く窪んでいた。半眼の瞼の下に覗く瞳はいつもの鋭利な光が欠け、濁って見えた。暗い曇がかかったような眼球に、更に薄い膜がのったように、そこに映る自分の顔が遠い。カカシが泣いているように見える。
 泣いているんですか、と聞こうとして、泣いているのは自分の方かと気付く。たぶん、どんなに謗り合おうとも、カカシが自分にとっての特別であることは変わりがないから、案じてもらえたことだけは嬉しく感じているのだろう。けれど憧れの人に俗な欲望込みで挑まれる、その事実はどうにもイルカは疎ましい。崇拝される側はきっと気付かない。憧憬者がどんなにか、自分の理想を当人に重ねているか。
 人の気も知らないで、とイルカは思い、素っ気無く事務的に、ご心配かけました、と言ってやった。
 言葉の代わりに近付いてきたカカシの唇が、血色に近い舌を伸ばしていた。頬骨に沿って耳までを舐められ、落涙を啜られた。いつかの月夜の口付けのように、頬の肉を温め包むよう様な穏やかな触れ方だった。いまさらそんな優しい素振りはちぐはぐなのに、カカシの体温はシズネの親切より身体に染み込んで来る。同時に鳩尾の辺りがキリと痛み、イルカはそのせいか、掬われたあとからまた水滴をこぼしていた。
「どうして、泣くの?」
 泣くほど気持ち良いかと、陰嚢までもみくちゃに指を食い込まされて腿の筋肉がビクビクとひき攣った。鎌首振る先端がジリジリと熱い。身体は性器に受ける快を存分に甘受する。それを認めるのは悔しくて首を振る。
「……お、俺らしいって、なんですか?」
「ちゃんと五代目に言ったらよかった、正直に。俺がしたことぜんぶ」
「あなたを、庇ったわけじゃない!」
 カカシはイルカの応えに力なく笑う。
「わかってますよ。五代目の罠にかかって、しめたと思ったんでしょう。こんなとこに篭って、俺から逃げられたつもりになってたんでしょう。そして俺を殺したいと言い続けていれば、此処から出なくて済むんだから」
 図星を衝かれてイルカは動転した。見抜かれていた事実に一瞬頭の中が真っ白になる。包皮を引きおろされた刺激で我に返る。
「……だって、もう俺はどこにも逃げられないっ。五代目には大人気ないと、適当にあなたの相手をしろと……っ」
「……そうだね。それもありだった」
「でも、あなたのは、……ちがうからっ」
 これにもカカシは、そうだね、と頷いてくる。
「俺は本気でした。跪いて従う中忍じゃなくて、俺を欲しがるあなたが欲しくて欲しくて……でも無理強いしたら嫌われるだろうから、ずっと臆病風に吹かれてた。けっきょくあなたの気持ちが変わるまで待てなかったんだから、最初から強制すればよかったわけだ」
――愛してますよ。
 いつかのようにカカシは言った。イルカは幾度も繰り返された真摯に響くこの言葉を、暴力より怖く感じてしまう。おそらくどんな拷問より脅威であった。
「あんたを操る影はいない。それは本当らしい。暗部がくまなく里内を探っても、不穏分子さえ今のところ動きはなかった。他になにを隠してるんですか?」
 恨みがましくカカシを見つめ、カカシの眼がゆっくり瞬くのに吸い寄せられた。睫の角度が幾度か変わっただけで、焦点はイルカの目線に合わされている。何かを達観したような静かな目線に、敵の急所を捕らえた勝利者の悦は微塵も滲んでいなかった。代わりに感じ取れるのは絶望に思えた。
 読み取ったものの無機質さと哀しさに身震いした。そんな眼で見ないで欲しい。この男にただならぬ愛情を向けられる謂れはますますないと思えてならなかった。
「なにも、隠してない。俺に拘るのはもうやめてください」
 掠れの残る声でそれでも強く、非難を込めた言葉を発すると、カカシはどこかが痛んだように眉を寄せた。まるで自分の言葉で傷ついたようだと思い、そんな風に見えるカカシをまともに見続ければ、自分の方が傷を刻まれている心地になりそうだった。だから顔を背けた。カカシの知らないところで何を思い、何を考えたか知らないくせに、好きだ愛してると言われることはもう耐えられない。
 ややあって、弱々しいカカシの溜息がした。
「……あなたは誰にも優しいのに、俺だけには冷たい人だ。ねぇ、俺は怒ってるんですよ。やっと手に入れた俺だけのイルカ先生も、俺から取り上げようとする」
 勝手な見解だった。それはあくまでもカカシ側の言い分なのだ。
「俺は、あなたに堕落して欲しくないんです」
 カカシがまた大きく溜息をついた。
「恋を堕落と呼ぶんですか?」
 カカシは聞き返しながら、軽く笑ったようだった。背けた顎に指が食い込んで、カカシの方に無理矢理向き直らされる。
「イルカ先生は、ほんとうに俺にだけひどいことを言う」
「カカシさんが、言わせるんです」
 どうして、と問うようにカカシは首を傾げる。
「……あなたが、ぶち壊したからだ!」
 イルカが望んでいたのは穏やかで楽しくて、綺麗な繋がりだった。醜い自分を晒さずに済むイルカの神経に障らぬ関係だった。それをカカシがだいなしにしたのだ。
「俺だって怒ってる。あなたを尊敬してたんです。友人でいたかった。それなのに自分を貶めてまで俺なんかに拘ってっ……思う度に腹が立つ」
 カカシの瞼がヒクリと痙攣して、眉がつりあがる。言い返される言葉に構えていたが、カカシは次の言葉をなかなか発しなかった。
 ようやく出た呟きは、謝りませんよ、だった。
「……もっとぶち壊れたっていい。友人関係なんて、俺は最初から無理だった。しょせん、辛抱なんて俺にはできないことだった」 
 言いながらカカシは指の絡む位置を滑らかに上下に移動させた。イルカは腰に力をいれて下半身を刺激し続けるカカシの手の感覚を少しでも逃そうと試みた。
「はなしてっ、もっ、はなしてくだっ……」
「離しませんよ」
 酷薄な笑いを浮かべたままカカシは言った。
「尋問だと言ったでしょう。隠してること言いなさい。拷問のノウハウはあなたも齧っている筈だ。痛みなんかすぐに麻痺するから、それだけじゃたいした効果はない。言いたくなるようなことしてあげるから……、あなたが一番嫌がること」
 カカシの視線が床近くに落ちる。きっとベッド下に下げられた、シリコン製のバッグに目がいったのだ。そこに肉体から流れ出す不要な水分が溜まっている。汚物だ。
「視ないでください、そんなもの……恥ずかしいっ」
「べつにこれは恥ずかしくないでしょう。俺も何度も経験あります」
 カカシがベッドの脇にすっくと立った。片手で陰茎を再び握られる。挿入されたままの管も立つくらい角度をあげられる。
「そう、これが入ってるのは恥ずかしくない。小便が流れてくるのも恥ずかしくない。でも精管が塞がれちゃって、……出せなくて悶えてるあんたの様子はすごく恥ずかしい。かなりの痴態だね」
「なに……いって…」
 カカシの上半身が屈み、小穴の縁と管の境目にできた狭い溝をチロリと舐めた。イルカは奇妙な熱を感じて、息をつめた。
「これ、取って欲しいでしょう。気持ちよく出せるように。こんなに膨らんでたら辛いでしょう」
「……よけいな、お世話だっ」
「そんな生意気な口はきけないようにしてあげます。強請るんですよ、あんたのやらしいのがさ、こっから出せるように、抜いてくださいって言いなさいよ」
 カカシは壁際に滑るように移動して、瞬きする間に戻ってきた。目に留まらぬとこのことだ。歩いた筋が見極められないのに、手が掴んでいる医療器具はしっかり見せ付けられた。掌に収まるサイズの注射器をちらつかされる。尿道に通された管の一部には、排尿が目的の道とは別な管が短く突き出ている。カカシはそれに針先のない注射器の先を突っ込んだ。繋げた管からジュッと泡が微かに立ったような水音がした。注射器に尿とは異なる透明の液体が吸い上げられていた。
 イルカも軽い知識だけはあるからカカシが何をしたのかわかる。排泄のために留置された管には、安易に抜けないように体内でカフが膨らんでいる。その膨らんだ場所から水を抜かれてしまったのだ。
 膀胱内の痞えが萎んだために、ズルリと抜かれていく管の感触がわかる。取り除かれるのを待っていたのに、それをカカシの手でされるとはイルカは夢にも思っていなかった。
 半分ほど抜けたのか、尿で濡れた管の途中がテラリと光って見える。浅い場所まで引き抜かれる。ズルリと引かれる異物の移動は、内側の粘膜を焼くようだった。
「あっっ、……いっ」
「いたい? 痛いでしょうけど、それは慣れちゃうからねぇ」
 細い管がズルズルとまた動く。引き抜けるほどに外に繰り出された異物の先端がもうすぐ覗く。だがカカシの手は抜け切る際でヒタと止めた。イルカは落胆の息をつかずにいられない。まだ異物が体内に残っている。敏感な先の辺りでとどまっていた。
「……まだですよ」
 カカシの左手が陰茎の元を握る。右手が僅かに動く。出口は異物がさがったまま開かれている。プチュンと音がした。
「あっ、いやだっ、なんでっ」
 管を中に押し戻されていた。摩擦に中の粘膜が発火したようだった。イルカは痛みと羞恥にたまらず叫んでいた。
「ぬ、ぬいてっ……抜いてくださいっ、はやく、いたいっ」
「まだだめだって……隠してること言ったらね」
 カカシが笑う。つるりと舐め取られたのは、管が半端に抜けた鈴口の縁だった。
「や、やめろ……きたなっ……」
「べつに、きたなかない。ねぇ、これおしっこじゃないよね。ねばねばしてる」
 カカシは指で掬ったものを鼻先に押し付けてくる。ニチッとカカシの指がぬるつき加減を示すように擦り合わされる。透明な粘液は尿臭よりも獣臭く、イルカの鼻をついた。恥ずかしい。助けて欲しい。あまりの仕打ちに情けなくも涙が滲む。
 導尿管が刺さったままの丸い部分を指の腹が形を確かめるようにゆるりとなぞってくる。幹の裏を扱かれる。根元から先まで筒にした指で擦られる。これでは促す愛撫と大差がない。陰茎の奥が痛む。痛みと思しき感覚は、熱の塊となり、膀胱の下で暴れ出していた。舌が異物でこじあけられたままの粘膜の縁を何度も突く。長い指が陰茎の元から先まで覆うように絡んでは扱き、イルカの性器をいたぶり続ける。
 陰嚢を揉まれながら持ち上げられた。カカシの眼が何処を見ているのかまたわかり、イルカは見られただけで慎ましさを装った場所が恐れ以外のものに疼くのを感じていた。
 両手が腿を広く押し開く。カカシは折り曲げられた脚の間に乗り上げてきた。ギシリと寝台の脚が軋んだようだった。二人分の負荷に微かに沈んだベッドで、イルカの双丘は鷲掴まれ、丸出しになった会陰に息を吹きかけられた。汗で股に張り付いた恥毛が揺れ、皮膚から少しだけ浮いたようようだった。完全に晒された後孔も、汗で湿りを帯びていた。窄みの中心をつついてきた指先は冷たい杭のように容赦がない。
 この感覚もイルカは覚えていて身震いした。震えが怯えから来るものではないことを自覚してしまう。カカシを殴れない腕が恨めしい。だが攻めを防御できないこの状況を言い訳にもできる。陰茎が踊るのも、後孔がひくついて指の刺激にほぐされてしまうのも、もともと有る欲望のせいではないのだと、カカシのせいなのだと思わなければ神経が焼ききれるから、そうした。悲鳴混じりにカカシを詰った。こんな尋問は不当だと罵った。
 カカシは微かに笑いの息を返すと、指に滑らかな舌を添えてきた。舌にのった唾液でそこがいつかのように濡らされていく。窄みの周囲を執拗に嘗め回される。指の腹がついに中に押し込められる。圧迫された場所がジリッと熱を持つ。もちろん痛みもあった。その痛みも熱も指先の動きで中へと伝染した。こじあけられた狭い坑道を、外へ外へと男の指が開いてしまう。
 指で浚われた内臓が擦られる。ニジニジと蠢くのが己の粘膜とは思えないほど柔軟に応えてしまう。プチュンと泡が弾けたような音がした。カカシの唾液を中に送られたせいだ。異物を奥へ奥へとどんどん飲み込まされる。いや、悦んで飲んでいるのだろう。
 押し込まれた質量に中の温度が上昇する。イルカは嫌悪しながら、不快ではないその感触を拒もうと尻を窄めて首を振り回す。
「あっ……っ、あぁっっ」
 殿筋に力を入れたのは逆効果だった。窄めたせいで内壁が、カカシの指の形をリアルに感じてしまい背筋が攣った。浮いた。熱く湿った背中の皮が半瞬だけ布から剥がれてそこだけの体温を一時だけ下げる。けれどすぐ業火に晒されたように、熱さは増した。不可抗力を意識の前面に貼り付けて、イルカは直腸の粘膜が男の手で荒らされる快感を味わった。
 関節の節に粘膜を上下左右も不明なくらい陵辱された。突き抜けるような痺れが内臓の奥で起き、振れないはずの腰を振っていた。たぶんカカシは、一番弱い箇所を押し上げたのだった。
 そこをめがけて指が何度も出し入れされる。速度も増し指の本数も増やされて、張り詰めた前が躍らされる。掻き回されて絶叫した。
「やっ、いやだ―――っ」
「いやってこたぁないでしょ、もう出そうだよ。管が押し出されてきてる」
 カカシが言うとおり、半端に抜けかけた細い筒がジワジワと排出されつつあった。そこにもうなぜだか痛みはなかった。尿道の内側の粘膜を少しずつ擦られるその感覚が、不快でもなくなっている。内側からの奔流に、煮える精液に、半端な栓が押し出されてきているだけだ。 
 カカシが意地悪く指先で器用にそれを押し戻す。ニチッと粘質の音を立ててほじるように。顎をあげ、噛み締めた口から被虐的な快感に唾液が垂れた。
 先端も後孔も間断なくつつかれる。前立線を押されるだびに目前で火花が散り、白く視界が霞む。力の足りない指で湿ったシーツを引き絞る。わななく両手が、下肢が、腹の底が、甘い痺れに慄いた。抗えない射精感を堪えるあまり、意識が遠のきそうになる。裏筋をかかれ、後孔の奥の敏感過ぎる箇所をくじられた直後、限界がきた。身体の中心から尿より恥ずかしい体液が押し出されてしまう。止めようとしても止まらなかった。
「っ…ひっ…ぁああっ――――っ!」
 精液の勢いでビュルリッと異物が飛び出した。それは生きた蛇のように跳ね上がり、イルカの腿にあたってシーツに落ちた。生臭い飛沫は断続的に散り、イルカ自身の腹の上にベットリと広がっていく。
 イルカは放出の余波に荒い息を繰り返す。身体はひどい脱力に重く沈んでどこか得体の知れない場所に落ちたようだった。肉体に受けた陵辱が過激過ぎたのか、快感をそのまま認めるのは悔しかったのか、頭が起きた現象の理解を拒んで放心した。だらしなく投げ出された身体を汚す、濁った白い液体のドロリとした感触が気持ち悪かった。
 脚の間に、前をくつろげるカカシの動作が見えた。無駄に足掻いた時間の虚しさに冷える心とは裏腹に、全身が隙間なく昂揚したのは、怒張した男の性器を見せ付けられたからだった。カカシは荒い息をイルカの内腿に当ててくる。薄い皮に唇を当てられる。精液を飛ばしたばかりの、萎んだ性器をチュルチュルと吸い上げてくる。
 カカシの舌と唇は陰茎全部を拭い、下腹も撫で上げた。イルカの撒き散らした精液を掬うためだった。さんざんに舌を這わせたあと、口いっぱいに集めた白い濁りを滴らせ、嘲笑とも苦笑ともつかない笑いを浮かべていた。
 自分の精液を後孔にジクジクと塗り込められる。先刻よりも滑りの増したカカシの指の注挿はより執拗になり、かき混ぜられるほどにそこが柔らかくなってしまう。
 丸みのある切っ先が後ろの排泄器官に当てられる。イルカはその硬さに眩暈した。無理矢理引き伸ばされる窄みが激痛を発し、イルカを喘がせた。狭い入口は確かに抵抗してみせたが押し込まれる力には耐えられずに、カカシの侵入を許してしまう。肉感の楔が身体を徐々に串刺していく。裂いていく。
「っ、あぁっ…っ!」
 押し込まれた男の質量にあられもなく叫ぶ。弱々しく膝が震えて腿がつる。呼吸が喘ぐ。息がつけない。いっぱいに詰め込まれた肉塊は、指で弛んでいた筈の内臓にもっとを強いて更に開いてしまう。元まで埋められたことは、カカシの腰骨が尻を打ちつけたことで判断できた。
 直腸内が焼いた金属のように熱くて硬いもので、みっしりと埋められている。カカシの息が胸に落ちてきた。余裕のない息継ぎが、男の興奮の度合いを示していた。カカシも相当に昂ぶっているのだ。
 カカシは飢えた獣が生肉を齧るような勢いで、上半身の皮膚を噛んできた。引き千切るように鎖骨を齧られ、何かの吸い口のように乳首を吸われて後ろの痛みを散らされる。乳首もカカシに教え込まされた性器の一つであった。そこを苛められると陰茎まで響き、勃ってしまいそうだった。小さな肉の隆起は舌で、指でカカシの思う様転がされ、つぶされる。捩れる。ちぎれるほど揉まれて腫れ上がり、硬く尖ってありえぬ大きさに突き出てしまう。
 脚を高く抱えあげられる。曲げられた身体が二つにたたまれるように深く折られてカカシの肉がより奥深い場所まで到達した。擦られた粘膜の一部には、既に腫れている腺がある。しこりのようなそこを潰すように刺激される。男の性器は指より太く広い面積で、弱みを嬲る。圧搾する。
 何度も雄芯でそこを押されると、何かが染み出てくるようだった。染み出て身体中に広がり脳まで犯すその感覚は、紛れもなくこれまでに味わったこともない背徳的で最上で、最低の快感だった。
 イルカはうわ言のようにやめて欲しいと哀願し、口ではそう言いながら、内臓は喜悦に慄いていた。肉の楔を出し入れされるのを、肉体に潜むもう一人のイルカは愉しんでいるのだ。身体の内側に止め処もなく滲んでくるものが止まらない。もう抑えがきかない。精を吐いたばかりの陰茎が前立腺の刺激でみるみる復活してしまう。
 カカシに性器の状態を気付かれて、指で絡め取られる。ゆるく扱かれる。それだけで先から元までガチガチに硬くなり、膨張は極限に達し、先から陰汁がジュピッとはしたなく飛び出した。
 誘い水がヌラヌラとカカシの手を、指の腹を汚す。イルカ自身が濡らすから、男の攻めがいっそう滑らかになる。グチャグチャと捏ねられながら、異物で弄られたあとの先端の穴をほじられる。中から粘液があとからあとから漏れるせいか、爪で掻かれても痛みはなかった。
「……身体は、意外に、素直だね……」
 含んだ笑い混じりにカカシが言った。打ち付けてくる腰の動きが心なしか早まったため、イルカは惑乱寸前だった。たまらなかった。気持ちが良かった。雄の性器の注挿に翻弄されて、翻弄されているこの状態を全身が喜んでいた。これが欲しかったのだと思い知らされる。
 こうされたかったのだ。誰かに。同じ男の肉体に、圧倒的に、暴力的に、残酷に容赦もなく、追い込まれて蹂躙されて喜びたかったのだ。舌なめずりもしそうな浅ましさでカカシの性器を内臓で味わっている。揺すられるままに掘られて突き上げられて、後孔の粘膜が想像外の良さに蠕動する。たまらず弱い力で脚を持ち上げる。それをカカシの腰に絡めて身悶える。
 腰にまわったイルカの脚を優しくカカシの掌が撫でていた。
「……そんなに、感じてるの?」
 不意に聞かれて目を泳がせた。揺すられていては焦点が合わないのに、カカシが何かを初めて知ったように、ある種の慎重さを匂わせて覗き込んできた。表情はもう笑っていない。
「イルカせんせ……っ、どうしちゃったの? ここ……すごいよっ、うそみたいに、とろけてきた」
 言われずとも繋がった場所から粘つく音が何度も聞こえているから、自分の変化は自覚している。カカシが動くたびに結合部で卑猥にグチュグチュッと泥を混ぜるよな音がする。たぶんとろけるどころか、突き崩されてしまったのだ。理性と共に。
「とろけてるだけじゃなくて……おれの、飲み込むみたいに吸い込んでるっ……締め付けるし、なんで? そんなにいい?」
 イルカは口まで持ち上げた指を噛み締めた。辱められる言葉も刺激となって、甘い悲鳴が出そうだったのだ。
 その手を取りあげられて、唇を合わされた。啄ばむような口付けから、舌を差し込まれて深いものになる。口内をねぶられるままに任せて鼻でやっと息をする。快感に叫びそうな喉を塞ぐものなら、もうなんでも良かった。応えるような形で舌が絡み合う。カカシの貪るような口付けに縋る。喉に快感の喘ぎが溜まって唸りをあげる。耐えても耐えてもそれでも苦しくて、カカシのアンダー越しの肩に爪を立てていた。
 いきなり離れた唇が、呟くように言う。
「……気持ちいいなら、我慢しないで、声聞かせてよ」
 唇の変わりに耳朶を舐められる。耳たぶを甘く噛まれて内耳に尖らせた舌を差し込まれる。こんなところも感じるのかと驚きに惑う。カカシの性器は休まずに、苛めるように突き上げてくる。快感と悔し涙で視界が霞んできた。それでも上向く雄芯が恨めしく、それを否定するように自身に手を伸ばす。握り潰そうとしたがそれにはまだ力が足りずに締められない。
「……こんなの、きたない性欲だ。こんなのにっ……溺れたくないっ」
「溺れちまえばいいのに……」
 カカシの手が頬に当てられて、唇がまた近付いてくる。間近に感じる息の熱さに目が眩む。もう片方の手は、イルカ自身を握る手の甲にかぶさった。
「……おれは、知りたくなかった。受け入れられなっ……いらないっこんな……」
「なにを?」
 イルカは頭を振るしかない。言えば浅ましさを軽蔑される恐怖に鳥肌が立った。
「なにを隠してたの? 言いなさいよ、でないと……これ、やめちゃうよ」
 カカシは腰の動きをひたと止めてしまう。それは脅しであって、脅しではなかった。イルカは蒼然とした。放られてもいい筈のに、張り詰めた性器が、熟れきった内臓が、それをよしとしなかった。少年時代に幾度も悪夢に視た快楽を、こんな風に与えてくる者はこの年になるまで一人もいなかった。戦場の一角で、平穏な里の裏側で、男が男に奉仕させるケースがあるにも関わらず、イルカは力づくで犯されたことも命じられたこともなかったのだ。偶然に。
 それは三代目の庇護にあるせいとも、自分が誰の食指もそそらぬせいとも考えていたからどうしようもないことだった。憶えれば常習になるような貪欲さが自分はあったから、自ら気軽に行為に踏み切れなかった。たまに自慰をすれば、自分が存外に快楽に弱いのがわかっていたのだ。きっとそれは人並みだと言い聞かせなければいられぬほど、人並みではなかった。相手をするものが嫌気がさすくらい、底がないのではと怖かった。
「イルカ先生?」
 イルカは過去の回想と現実に混乱したままカカシを見上げていた。返事の変わりに後ろを締める。そうすると雄の性器の形と硬さが粘膜により克明に感じられるのは憶えたから、味わうために尻を窄めずにいられなくなっている。抜かれる寸前まで、きっと内臓が恋しがる。抜き去られた後に襲ってくるのは、おそらく飢餓だった。
 カカシがイルカの動きに微かに嘆息した。
「……ずるいよ、そんな、締めないでよ」
 これでも我慢してんです、とカカシはさも可笑しそうに笑った。やっていることは忘れたような、日常の冗談に笑ったように、嫌味のない笑みだった。これはいったいどこの誰なのか一瞬、おかしな錯覚がした。カカシであって、カカシでないような男。たぶん、懐かしくて驚いたのだ。それは自分を口説こうとする以前のカカシの顔だった。ただ優しくて強くて、自分の理想を具現化したような忍の顔だった。
 悔しいせいでも、快楽のせいでもなく、イルカの涙腺が弛んだ。涙につられたものか、言葉もこぼれてしまった。
「あなたは、俺を好きだから、身体も抱きたいと言った。でも、俺は違う。きっとあなたじゃなくても……相手が男性なら、こうなるんです」
 とうとう言ってしまった。口にしてしまった。
 カカシが色違いの瞳を同時に見開いていた。
 イルカは火照った肉皮の全部の熱が退いていくようだった。晩生と最初にイルカをからかったのは誰だったろう。そんな修飾語こそ幻だったのに、誰もイルカの葛藤を悟る者はいなかった。ひたすらイルカが隠していたからだ。同性間の性欲に悩む友人は、そばには誰一人いなかったからだ。
 自分を揶揄したコスギの顔がちらついた。あの男もそういう性癖の持ち主だったのかもしれない。イルカは自分のことでいっぱいいっぱいで、訊ねることはなかったが、機会があれば聞けば良かったと今は思う。
 どれだけ沈黙は続いたか。イルカの中でカカシは腑抜けて萎えるかと思っていたのに、硬度は保たれていた。自分も萎えていないのが可笑しくて、苦く笑って見せると、カカシはそこでようやく口を開いた。
「先生、男がいいの? 男の身体が好きなんですか?」
 顔を背けて答えた。
「……女の人じゃ、たぶん、駄目です」


2007.08.23



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