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満月の夜だけの-23-



 カカシは応えに戸惑った。煙草を吹かし、コンビニエンスストアの袋を提げたアスマの表情は、本当に今にも泣きそうだったのだ。
 少し悔やむ。今度の任務に出る前に、アスマには経緯を喋りすぎていた。情の深さはこの男も侮れない。見かけの強面を裏切る気質に、里一の美女はほだされたのだから。
 カカシはやっと口を開く。
「……そんな顔、しないでくんないかな」
 頼んで外へと眼を逸らす。幾分風が強くなってきた。里は留守の間に季節を越した。窓から眺める景色の中に秋の名残りが乏しく在る。落ちきらない広葉樹の葉が、アカデミーの演習場を囲む森に微かな色味を添えるだけ。冬支度を纏う空気が窓のカーテンを盛大に揺らし、居間件、寝室の広い部屋をかき混ぜる。カカシの前髪が盛んに揺れた。アスマの咥え煙草の紫煙を散り散りにする。
 年上の友はトレードマークの咥え煙草を噛みながら、低く唸った。
「ばかやろー、感動の再会だぞ。他にどんな面がまえしろってんだ」
「大袈裟なんだよ」
 カカシは見くびるな、と付け加え、痒くもない髪をガシガシ掻いた。
 アスマは苦虫を潰したような顔になる。
「見くびっちゃいねーがな、苦戦だったろーが。しまいにゃ、忍犬を里に残しておけねーほど余裕なかったくせしてよ」
「あー、知ってた?」
 わからいでか、と言いながら、アスマは部屋の真ん中のテーブルにビニール袋を置いた。テーブルに袋の中身がぶつかり、ガサリとゴチンという音が同時にした。きっと中身は缶ビールとワンカップの米酒だろう。任務明けには呑んで寝る、打ち上げ必須のアスマらしい手土産だった。腰のポーチから携帯灰皿を取り出す手つきが荒っぽい。持ち主の体格にそぐわぬ小さなブリキ缶の蓋を、太い親指が跳ね上げる。苛立ったようにそこに灰が落とされた。
「……心配かけた。わるい」
 カカシは素直に頭を下げた。上目遣いに大男を覗き込むと、ったくめんどくせーと決まり文句を投げつけられる。
「っとにめんどくせー奴だよ、おまえといい、イルカといい」
 複数形で言われて眉が寄る。カカシはすぐに合点がいって、説教を覚悟した。
「紅からなんでもつつぬけなんだから」
「できねーやせ我慢なぞしてるから、ぶち切れることになんだ」
「小言は聞きたかない」
「説教しにきたわけじゃねぇ。気持ちはわかる。喧嘩両成敗だ。お前さんをきっぱり切らねーでいた、イルカも同罪」
 構えていたカカシは力が抜けた。床にだらりと座り込む。べッドの縁に背中があたる。そのままスプリングに頭を預け天井を仰ぐ。
「じゃー、戦況は最悪でもなくなったかな。二対二だ。紅はイルカ先生を庇うけど、アスマは俺の側」
 カカシは味方を得たと笑う。すると、なにもしねーぞ、とサックリ切られて別な意味で更に力が抜けた。
「なにそれ、俺を応援してくれんじゃないの?」
「渦の外の見物人にどうしろってんだ? 巻き込むなよ、当事者同士の問題だろうが」
 アスマはテーブル前に胡坐をかくと、袋を探る。どっちだと聞かれ、カカシがビール、と答えると、アルミの缶を投げて寄越してきた。短い弧を描いた酒の向こうで髭面はニヤリと笑う。
「……とはいえ、あたまにきてな、実は奴をずいぶん脅しちまった」
「脅したぁ?」
 カカシは呆れながら、缶ビールを片手で受け取った。
「あぁ、脅したね。はたけカカシが死んだらてめーのせいだって、びびらせといてやったぞ」
「そらどーも。けど、けっこー心外」
「うそつけ。死にに行くようなツラしてたくせして」
 顔を見合わせ、二人は同じ瞬間に吹き出した。
「まぁ、今日のところはまずは寝ろ。ゆっくり休めや。どーせイルカも里にいねーしな」
「……いない? 任務?」
 カカシはビールのプルタブを引こうとした手が止まる。
「なんだ、知らねーのか? おまえのことだから、さっそく犬ころで追い回してるかと思ったぜ」
「さすがに今回はそんな元気ないんだよ。まさか戦任務じゃないよね?」
「知らん。紅がアカデミーで聞いてきた話しじゃ、五代目の使いで出かけたらしい」
 カカシはふーん、と軽く返事をしたが、内心はイルカの行き先や帰る日が気になった。月が満ちる夜までの日にちを数えてしまう。任務の行程で、イルカにかけた術が発動するのはいただけない。まさか任務放棄はないとは思うが、連れがいたならイルカの変貌に気付くだろう。
「……二週間、ちょいか」
 呟くと、アスマも指を折っていた。
「満月まで、か? 俺はちらと遠くから見てただけだが、ありゃーかなり可愛い生き物に変わるよな。誰かさんがいないとどーしようもねーっての? スケベな術だぜ」
「説教しないんじゃなかったの?」
 カカシが問うと、アスマは崩した表情を、真顔に変えていた。
「しねーが、どーよ? 任務の最中に月が満ちるってケースは。傍におまえがいなけりゃ徘徊すんだろう。大丈夫なのかね」
 カカシは頷く。あの有様は、犬の眼を通し視ていた。
「任務に就いてる自覚があれば、俺を探してまわるとは思えないけど……」
 言ってはみたものの、カカシは不安になる。熟れた眼差しで自分を恋しがるイルカは、まるきり別人だ。成り行きとはいえ、歩き回った末に入ろうとした場所には、かなり肝を冷やされた。
 あのイルカは恋愛の対象者を男のカカシと定めたせいで、同性に対する警戒心まで薄れていないだろうか。自分以外の男を視る眼まで、いつもと異なっていたように思う。
 術は副産物として、イルカの常識を覆したか。あの晩、イルカは自分の不在に寂しげであるだけでなく、もろに人肌に飢えていたように見えた。男娼と向き合ったイルカの眼は、雄の肉体を執拗に舐めていなかったか。
(まるで代役でもいいような――)
 恋しさが紛れるなら誰でもいいような。自己抑制など崩れそうに、危なげではなかったか。
 だとすれば、今後地上を満月が照らす度、自分が里にいなければと考えて、カカシはぞっとした。
「とりあえずは少し寝ろよ。どうせイルカの行き先はわからねーし、探すにしたって、おまえのチャクラが回復しなりゃ犬も自在に走らねー」
 アスマの強い口調が、カカシの思考を埋めた暗雲にすっぱり亀裂を入れる。犬達を呼び出しても追尾の余力がないから、今はどうせ何もできない。壁のカレンダーに自然眼がいく。月が膨らむまでにイルカが里に還らなければ、その時はまた使役の眼を遣ることにしてビールを煽る。酒は胃を焼くばかりだ。眠気が来ない。
「アスマがイルカ先生の話なんかするから、眠れなくなった」
「眠れなくても横にぐれーなってろや。俺はこれからガキどもと任務だ。明後日には帰るから、そしたら本格的に打ち上げしようぜ」
 アスマは立ち上がり、開けていた窓の戸締りにかかる。御丁寧にカーテンまで引いてくれる。世話焼きな男の荒い動作で昼の光りが閉ざされる。振り向いたアスマは、口角をあげて意地の悪そうな笑い方をした。
「なんなら女でも呼んでやろうか? ころがったまんまなんもしなくても、気持ちよく寝かしつけてくれる、さいこーテクのある女」
「そらおいしそー。いいねー」
 下世話な話のネタに笑って答える。ノリで返したセリフは酒より苦く、そして虚しいばかりであった。
 カカシが、冗談だよ、と言ったばかりの言葉を撤回すると、好きなくせに、と揶揄された。
「玄人女なら浮気じゃねーだろう」
「俺は月に一度でも、イルカ先生が来てくれるのを待つ」
 アスマは、ガハハと馬鹿笑いした。
「満月の夜だけのいい人かよ」
「そうだよ、満月の夜だけ、術の効力がある時間だけ」
 カカシは自嘲して、残された繋がりを噛み締める。惨めだな、と自覚して、けれど見方を変えれば狸男の言う通り、イルカに豪語したように、それだけは有るということだった。失くしたなどと考えなければ良い。ひと月のうちの一夜だけでも、得たと考えていれば良い。諦めの境地は、辿り着けば案外と楽に思えた。全てを欲して足掻くから、可能性など期待するから、拒まれて落胆するのである。
「俺はもうこれでいい。どうしようもない。あの人は俺を許さない」
「誠心誠意、謝ってもか?」
「あやまらない。謝っても無駄。イルカ先生、頑固だからさ、こうと決めたら曲げないでしょ。俺はせいぜい解けない幻術を楽しむよ」
「頑固なのは、てめーも似たり寄ったりだぞ。話し合う気はねーのかよ」
「話し合う気がないのも、お互い様」
 カカシはビールの残りを飲み干すと、ごちそーさん、と言って空き缶を部屋角の屑篭まで投げつけた。狙いを定めた筈の的が外れ、空き缶が床にカラリと落ちる。アスマは転げた塵を拾いあげ、めんどくせーな、とまた口癖を吐いた。
「めんどくせーから、おまえら、一生痴話げんかしてろ」
 回れ右するアスマの背に、カカシはささやかな反論を飛ばす。
「痴話げんかじゃない。真面目ないがみ合いでしょ」
 アスマは、振り向かずに言った。
「さて、どうかね」
 大柄な体躯がドアの向こうに消える。
「どうかね……って」
 カカシはなんのこっちゃ、と独りごち、ベッドに這い上がり突っ伏した。意味深に聞こえたアスマの言葉を考えるのは億劫で、眠くもないのに瞼を閉じた。


2007.07.05


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