| カカシは応えに戸惑った。煙草を吹かし、コンビニエンスストアの袋を提げたアスマの表情は、本当に今にも泣きそうだったのだ。 少し悔やむ。今度の任務に出る前に、アスマには経緯を喋りすぎていた。情の深さはこの男も侮れない。見かけの強面を裏切る気質に、里一の美女はほだされたのだから。 カカシはやっと口を開く。 「……そんな顔、しないでくんないかな」 頼んで外へと眼を逸らす。幾分風が強くなってきた。里は留守の間に季節を越した。窓から眺める景色の中に秋の名残りが乏しく在る。落ちきらない広葉樹の葉が、アカデミーの演習場を囲む森に微かな色味を添えるだけ。冬支度を纏う空気が窓のカーテンを盛大に揺らし、居間件、寝室の広い部屋をかき混ぜる。カカシの前髪が盛んに揺れた。アスマの咥え煙草の紫煙を散り散りにする。 年上の友はトレードマークの咥え煙草を噛みながら、低く唸った。 「ばかやろー、感動の再会だぞ。他にどんな面がまえしろってんだ」 「大袈裟なんだよ」 カカシは見くびるな、と付け加え、痒くもない髪をガシガシ掻いた。 アスマは苦虫を潰したような顔になる。 「見くびっちゃいねーがな、苦戦だったろーが。しまいにゃ、忍犬を里に残しておけねーほど余裕なかったくせしてよ」 「あー、知ってた?」 わからいでか、と言いながら、アスマは部屋の真ん中のテーブルにビニール袋を置いた。テーブルに袋の中身がぶつかり、ガサリとゴチンという音が同時にした。きっと中身は缶ビールとワンカップの米酒だろう。任務明けには呑んで寝る、打ち上げ必須のアスマらしい手土産だった。腰のポーチから携帯灰皿を取り出す手つきが荒っぽい。持ち主の体格にそぐわぬ小さなブリキ缶の蓋を、太い親指が跳ね上げる。苛立ったようにそこに灰が落とされた。 「……心配かけた。わるい」 カカシは素直に頭を下げた。上目遣いに大男を覗き込むと、ったくめんどくせーと決まり文句を投げつけられる。 「っとにめんどくせー奴だよ、おまえといい、イルカといい」 複数形で言われて眉が寄る。カカシはすぐに合点がいって、説教を覚悟した。 「紅からなんでもつつぬけなんだから」 「できねーやせ我慢なぞしてるから、ぶち切れることになんだ」 「小言は聞きたかない」 「説教しにきたわけじゃねぇ。気持ちはわかる。喧嘩両成敗だ。お前さんをきっぱり切らねーでいた、イルカも同罪」 構えていたカカシは力が抜けた。床にだらりと座り込む。べッドの縁に背中があたる。そのままスプリングに頭を預け天井を仰ぐ。 「じゃー、戦況は最悪でもなくなったかな。二対二だ。紅はイルカ先生を庇うけど、アスマは俺の側」 カカシは味方を得たと笑う。すると、なにもしねーぞ、とサックリ切られて別な意味で更に力が抜けた。 「なにそれ、俺を応援してくれんじゃないの?」 「渦の外の見物人にどうしろってんだ? 巻き込むなよ、当事者同士の問題だろうが」 アスマはテーブル前に胡坐をかくと、袋を探る。どっちだと聞かれ、カカシがビール、と答えると、アルミの缶を投げて寄越してきた。短い弧を描いた酒の向こうで髭面はニヤリと笑う。 「……とはいえ、あたまにきてな、実は奴をずいぶん脅しちまった」 「脅したぁ?」 カカシは呆れながら、缶ビールを片手で受け取った。 「あぁ、脅したね。はたけカカシが死んだらてめーのせいだって、びびらせといてやったぞ」 「そらどーも。けど、けっこー心外」 「うそつけ。死にに行くようなツラしてたくせして」 顔を見合わせ、二人は同じ瞬間に吹き出した。 「まぁ、今日のところはまずは寝ろ。ゆっくり休めや。どーせイルカも里にいねーしな」 「……いない? 任務?」 カカシはビールのプルタブを引こうとした手が止まる。 「なんだ、知らねーのか? おまえのことだから、さっそく犬ころで追い回してるかと思ったぜ」 「さすがに今回はそんな元気ないんだよ。まさか戦任務じゃないよね?」 「知らん。紅がアカデミーで聞いてきた話しじゃ、五代目の使いで出かけたらしい」 カカシはふーん、と軽く返事をしたが、内心はイルカの行き先や帰る日が気になった。月が満ちる夜までの日にちを数えてしまう。任務の行程で、イルカにかけた術が発動するのはいただけない。まさか任務放棄はないとは思うが、連れがいたならイルカの変貌に気付くだろう。 「……二週間、ちょいか」 呟くと、アスマも指を折っていた。 「満月まで、か? 俺はちらと遠くから見てただけだが、ありゃーかなり可愛い生き物に変わるよな。誰かさんがいないとどーしようもねーっての? スケベな術だぜ」 「説教しないんじゃなかったの?」 カカシが問うと、アスマは崩した表情を、真顔に変えていた。 「しねーが、どーよ? 任務の最中に月が満ちるってケースは。傍におまえがいなけりゃ徘徊すんだろう。大丈夫なのかね」 カカシは頷く。あの有様は、犬の眼を通し視ていた。 「任務に就いてる自覚があれば、俺を探してまわるとは思えないけど……」 言ってはみたものの、カカシは不安になる。熟れた眼差しで自分を恋しがるイルカは、まるきり別人だ。成り行きとはいえ、歩き回った末に入ろうとした場所には、かなり肝を冷やされた。 あのイルカは恋愛の対象者を男のカカシと定めたせいで、同性に対する警戒心まで薄れていないだろうか。自分以外の男を視る眼まで、いつもと異なっていたように思う。 術は副産物として、イルカの常識を覆したか。あの晩、イルカは自分の不在に寂しげであるだけでなく、もろに人肌に飢えていたように見えた。男娼と向き合ったイルカの眼は、雄の肉体を執拗に舐めていなかったか。 (まるで代役でもいいような――) 恋しさが紛れるなら誰でもいいような。自己抑制など崩れそうに、危なげではなかったか。 だとすれば、今後地上を満月が照らす度、自分が里にいなければと考えて、カカシはぞっとした。 「とりあえずは少し寝ろよ。どうせイルカの行き先はわからねーし、探すにしたって、おまえのチャクラが回復しなりゃ犬も自在に走らねー」 アスマの強い口調が、カカシの思考を埋めた暗雲にすっぱり亀裂を入れる。犬達を呼び出しても追尾の余力がないから、今はどうせ何もできない。壁のカレンダーに自然眼がいく。月が膨らむまでにイルカが里に還らなければ、その時はまた使役の眼を遣ることにしてビールを煽る。酒は胃を焼くばかりだ。眠気が来ない。 「アスマがイルカ先生の話なんかするから、眠れなくなった」 「眠れなくても横にぐれーなってろや。俺はこれからガキどもと任務だ。明後日には帰るから、そしたら本格的に打ち上げしようぜ」 アスマは立ち上がり、開けていた窓の戸締りにかかる。御丁寧にカーテンまで引いてくれる。世話焼きな男の荒い動作で昼の光りが閉ざされる。振り向いたアスマは、口角をあげて意地の悪そうな笑い方をした。 「なんなら女でも呼んでやろうか? ころがったまんまなんもしなくても、気持ちよく寝かしつけてくれる、さいこーテクのある女」 「そらおいしそー。いいねー」 下世話な話のネタに笑って答える。ノリで返したセリフは酒より苦く、そして虚しいばかりであった。 カカシが、冗談だよ、と言ったばかりの言葉を撤回すると、好きなくせに、と揶揄された。 「玄人女なら浮気じゃねーだろう」 「俺は月に一度でも、イルカ先生が来てくれるのを待つ」 アスマは、ガハハと馬鹿笑いした。 「満月の夜だけのいい人かよ」 「そうだよ、満月の夜だけ、術の効力がある時間だけ」 カカシは自嘲して、残された繋がりを噛み締める。惨めだな、と自覚して、けれど見方を変えれば狸男の言う通り、イルカに豪語したように、それだけは有るということだった。失くしたなどと考えなければ良い。ひと月のうちの一夜だけでも、得たと考えていれば良い。諦めの境地は、辿り着けば案外と楽に思えた。全てを欲して足掻くから、可能性など期待するから、拒まれて落胆するのである。 「俺はもうこれでいい。どうしようもない。あの人は俺を許さない」 「誠心誠意、謝ってもか?」 「あやまらない。謝っても無駄。イルカ先生、頑固だからさ、こうと決めたら曲げないでしょ。俺はせいぜい解けない幻術を楽しむよ」 「頑固なのは、てめーも似たり寄ったりだぞ。話し合う気はねーのかよ」 「話し合う気がないのも、お互い様」 カカシはビールの残りを飲み干すと、ごちそーさん、と言って空き缶を部屋角の屑篭まで投げつけた。狙いを定めた筈の的が外れ、空き缶が床にカラリと落ちる。アスマは転げた塵を拾いあげ、めんどくせーな、とまた口癖を吐いた。 「めんどくせーから、おまえら、一生痴話げんかしてろ」 回れ右するアスマの背に、カカシはささやかな反論を飛ばす。 「痴話げんかじゃない。真面目ないがみ合いでしょ」 アスマは、振り向かずに言った。 「さて、どうかね」 大柄な体躯がドアの向こうに消える。 「どうかね……って」 カカシはなんのこっちゃ、と独りごち、ベッドに這い上がり突っ伏した。意味深に聞こえたアスマの言葉を考えるのは億劫で、眠くもないのに瞼を閉じた。 |