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満月の夜だけの-12-



  茶の国の先代の大名は、野望を秘めた攻撃的な男であった。かつて東に隣接する雨隠れの忍の里に、金銭、物資の援助をするどころか、土地も人材もまるごとの私有化を企んだ経緯がある。
 例えば木の葉の忍の里は、火の国の領土内にあり、火の国の一部の軍事力を担ってはいるが、代わりに住まう土地の確保は火の国が存続している以上、火の国によって保障され、火の国から奪われることはない。行政も里長を頂点とした独自のもので、火の国の税制には一切関わっていない。あくまでも対等な位置関係で、大名に礼は尽くしても額付く必要はないのである。
 しかし茶の国のその大名は、例としては多い国と忍の隠れ里の対等な関係を、良しとしなかったのだ。忍はあくまでも軍事力であり、道具としか考えられぬ性分だったのである。
 茶の国の大名と、雨隠れの里長は度々衝突した。当時、人口の少なかった雨隠れは、里の一部の土地を大名の軍勢に削られてしまったことがある。争いで死人が出たのは必至である。雨隠れはそのことがあってから、茶の国の大名家とは敵対関係にある。
 温厚な現大名の時代となった今でも、茶の国からの任務以来が、雨隠れには行かず、少し離れた木の葉の里まで来るのはそのせいである。

 
 降りしきる雨の礫は勢いが木々の梢を経ていても、雹かと疑うほどカカシの皮膚に冷たく痛かった。上腕を晒した装束が疎ましいのはこういう時だ。無論、身の危険がない限りこの程度の肌の不快はいざ戦闘になれば微塵も気にならない。何もせずただじっと刻限が過ぎるのを待っているから些細な皮膚感覚に捕らわれるのだ。
 木の上ではなく屋根のある場所を指定すれば良かったと後悔したが、今から場所を誘導するために目印をつけるのは、敵に自分の居場所を教えることにもなりかねなかった。救いは獣を模した硬質の面だ。これをつけていると少なくとも雨粒は直接目玉に入らない。
 常識はずれの大粒の雫をカカシは弄んでいたクナイで切った。雨隠れの忍び達が茶の国に降らし続ける豪雨はもう十日も続いており、平野を埋める茶の木々は、日に日に泥沼と化していく土壌の中で倒れていった。
 河川の浸水で根こそぎ流れた幼木もある。来春、毎年茶の国を彩る新緑の絨毯はいつもの如き広さでは拝めまい。
 春になるとこの国の茶を請うた年寄りがいた。カカシは任務の帰りがてらに度々頼まれた。
――カカシ、茶の国の新茶を少しばかり求めて来てくれんかの。
 季節毎の初物食いは人の寿命を延ばすというが、その老人はたいして長くは生きてくれなかった。
 イルカの親代わりともいえるあの里長が生きていたならば、今のカカシを厳しく叱咤するだろう。忍の技術を私情で行使した部下を、激しく嘆くだろう。
 カカシは気を緩めれば沈む想いにひとつ頭を振った。萎れた髪から雨水がパラリと膝頭に落ちる。水分を吸い飽和状態になった下衣を伝い、水滴はダラダラと下足に向かい落ちていく。
 流れる滴を眼で追う傍ら、待ち人が着いたのを気配で知り、怖気に近い身震いをした。その男の気に当てられたのだ。音もなく近寄って来たくせに、殺気だけは執拗に漲らせている相手にカカシは言った。
「……ちょっと抑えてくれないかな。せっかく距離とってるのに敵に気付かれるでしょうが」
 男は狸を模した面の下から、フンと荒い鼻息を吹いた。
「俺は他の任務を片付けてきたばかりだ。やっと帰れるところを正規部隊の尻拭いにまわされて頭に来てる」
 正規部隊の尻拭い、という表現に、カカシは面の下、渋面を作る。
「文句があるなら人選した五代目に言ってくださいよ」
「あぁ、言ってやる。その前の人選からして間違っていたとな。指揮官は色恋の甘みに牙が虫歯だらけになっちまった、へなちょこ野郎だった」
 カカシはバリッと濡れた頭髪を掻いた。この男を寄越すと言われた時から、応援のありがたみは半減していた。私生活の一部を知られている仲間は、時に厄介である。しかし、敵に幻術の使い手が多いと判ったからには、当然出てくる名であったから仕方がない。
 カカシはどうせ並べられるだろう嫌味と文句を覚悟した。
「月輝さん、あんたなにが言いたいんですか」
 枝に胡座をかいたまま、カカシは隣の木の股にどっしりと片膝つく熟年の忍を窺った。狸男は面の下で薄ら笑った。
「雨隠れの奴等の企ての阻止に、最初に当たったのは、おまえだろうカカシ。だがおまえは満月の夜までに、なんとしても里に還りたかった。だから撤退の時期を誤った。帰還を焦るからこのざまだ」
 月輝は短い首をゴリッとまわし、頭髪に溜まった雨水を振るい落としてから、
「なぜ主犯の『雨降らし』の首をとらなかった?」
 言及してきた。
「『雨降らし』は茶の国の現大名に、過去の侵略を水に流し、和解すると誓約書を書いた。事実、一時は和解した。正規部隊のうち副隊長に就いた者が、大名と『雨降らし』の談義に立ち会っている」
 カカシの淡々とした答えに、月輝はせせら笑った。
「……甘い。少なくとも『雨降らし』を拘留するべきだった。狭い国土を削られた恨みも、同胞を嬲られた恨みも、簡単に消えるものか。『雨降らし』は前里長の孫だろう。爺さんから子守歌代わりに茶の国への恨み辛みを聞かされながら育ったろうさ。紙切れ一枚に騙された結果がこれだ。奴は今度こそ茶の国を潰そうとしている。いや、つぶしかけてるな、もう。茶の国が犯した侵略の方がまだましか。殲滅だこれは」
 このままでは茶の国は、茶の木どころか家々も流されてしまうだろう。沼のような水浸しの地表に、カカシは臼歯が減るほど奥歯を噛み締めた。前大名の行いに還ってきたしっぺ返しは、自業自得の感を否めぬが、世代が代わった事実を踏まえれば、和解は不可能ではない筈だった。先月、この国を襲った雨忍の討伐に、カカシはフォーマンセルで望み、追い込んだ『雨降らし』の命乞いと、改心の言葉を信じたのである。
「血を流さずに済むなら、それに越したことはないと考えた」
「くだらん。前にも言った。ガキ共のお守りで腑抜けたか。いいや、きさまの場合、色恋に脳味噌がふやけたのだ。犯罪者の悔い改めるというセリフほど信用できぬ言葉はない。おまえは指揮官としてどう責任を取るのだ?」
「……もはや抹殺あるのみ」
 月輝は溜息した。
「正規部隊の既製服なぞ着ているから最初からその言葉が出ない。カカシよ、おまえは此方側に戻れ。日なたにいるものに焦がれることからして、らしくない。驚いたぞ俺は。まさかあの男がおまえの片恋の相手とは……」
 カカシは面の両側に穿たれた穴から月輝を凝視した。
「……なぜ、知った?」
「第弐図書室で幻術の資料をひっくり返していた。友のためと言い訳していたが、俺は自分の術に侵された奴の匂いは判る」
 のめり込むのはやめておけ、と月輝は溜息と共に忠告してきた。
「月に一度楽しむくらいでちょうどいい。あれは厄介だ。闇も曇りもない眼で人を視るから暗部の面子は敬遠してる。同じ場所に貶め汚してやろうという加虐心はわいても、愛情はわかんだろう、ふつう。それともおまえは虐待願望を恋愛とはき違えているのか? 手込めにした泣き顔は、さぞかしそそるだろうよ。抱きたいならとっくに力ずくでものにすればよかったものを、心までなぜ欲しがる」
 カカシは見えぬ場所で自嘲の笑みを穿いた。
「俺が視たいのは、あの人の笑顔だからだろう」
 カカシのセリフに月輝は、笑止、と言い、笑ってはいなかった。
「では月に一度の笑顔で我慢しろ。我慢し続けろ。孤立無援の戦で活路を見いだすよりあの男を落とすのは難しかろう。真面目と常識が標準服を着ている男が、同性相手の爛れた恋愛なぞ不可能だ。第一に……」
 あれは想い人が既にいる、という月輝の思いがけぬ言葉にカカシはぞくりと悪寒がした。
「俺のその手の勘は外れたことはない。おまえが術にかける前から煩っていた」
 それは誰だとカカシは問いつめる。知らん、と言われて納得がいかない。その前に、そんな相手が彼の周りにいたかと、友人や同僚の顔と名を頭の中で連ねてみるが、これと思い当たる人物がいない。
 カカシは鉤爪付きの手っ甲をはめながら、空を仰いだ。
「……誰に恋していようが、関係ない。満月の夜だけは俺のもんだから」
「そうだ、そう割り切って楽しんでいろ」
 言い含められる。カカシはまた笑いたくなった。
「実は、まだまともに抱いてないけどね」
「なに?」
 狸の面に見つめられる。穿たれた穴から覗く月輝の細い眼は、おそらく最大限に見開いていた。
「……そろそろ夕刻だ。作戦の話をしていいですかね」
 天空の雨雲は忍術により厚い層を成している。術者の正確な位置が、頻繁に使われる幻術で容易に掴めぬ状況下、今のところ隠れ潜む場所を一つずつ当たっている現状だ。しかし劣勢になれば雨隠れは外部から応援を幾らでも呼ぶ。雨足が弱まる木の葉の優勢は一日と持たず、カカシ等は茶の国に潜入している雨隠れと、国境から侵入してくる新手の両方に注意を払わねばならなかった。
 打開策は新手の侵入の阻止である。同じ幻術で此方の動きの攪乱をしつつ、茶の国深く侵入している輩を里と交信不可能にし、味方から孤立させることが必然である。
 カカシの作戦概要を一通り大人しく聞いていた狸の面は、またカカシを甘い、と言った。
「いくらパイプを断とうが、茶の国の天候が回復していくのは隣の地からはすぐに知れるだろう。そうなれば味方劣勢の連絡がなくとも、雨隠れは侵入してくるだろうよ」
「そこであんたの大技の出番なわけですよ。三人ほど援護を着けますから、雨隠れの里に潜入して、こっちが片付くまで常駐部隊にいい夢見せてもらえませんかね」
「集団催眠暗示か。里全体に。……負担だな」
「あんたならできるでしょう」
 月輝はいいだろう、と頷いたが、ケチをつけるのを忘れなかった。
「流血は最小限にか、やはり甘い」
「茶の国の大名の依頼が、あくまでも和解なんですよ。先導している『雨降らし』一派は今度こそ根絶やしにする。その上で、大名と里長の会見の場を作ります」
 月輝は立ち上がった。
「茶の国に潜伏している人数は?」
「わかっているところで五十と、二人。うち半数以上は上忍レベル。十は特殊部隊」
「それも負担だな。あと二十日程度では片付くまい。まごまごしていると木の葉の里には満月が登るぞ」
 カカシはイルカの顔を思い浮かべる。自分はふた月は留守だと言ってきた。術の力で自分を恋しがるイルカは、どんな夜を過ごすだろう。そして本物の彼は、どんな日々を過ごすだろう。
 憎しみでも恨みでもいい。本物の彼にも、一度くらい自分を思って欲しかった。
「……七日以内に雨雲の切れ間を作る。広大な茶の国から雨隠れを全て消すまで、三十日は覚悟してる。残りの半月で双方に不可侵条約を結ばせる。雨隠れへの使いには、正規部隊から森乃イビキを呼ぶ」
「イビキは専門外だろう」
 月輝が肩を竦める。
「威圧感が欲しいんでね。では最初の連絡は七日後に。援護の三人とすぐに合流していただきたい」
 月輝は頷くと、示した地点へと向かい消えた。
 雨雲のせいで昼間から日暮れのようだった薄闇は、本格的な漆黒に変わろうとしていた。
 月輝が去って間もなく、先輩、と口を揃えた男女の声音に呼びかけられる。
「あー、じゃ、揃ったところで俺達も行きますか」
 促すと二つの男女の影が両脇で頷いた。女の方は普段流している黒髪を後ろで一つに束ねていた。さすがに雨垂れに鬱陶しくなったのだろう。男の方は刈り上げに近い短髪に当たる雨水を、スルリと後ろに掻いて水滴を飛ばす。
「……おまえの木遁忍術でさ、駄目んなったお茶の木全部なんとかなんないかな?」
 男の方に尋ねてみる。男は面の中の猫のような丸い眼をパチクリしばたいた。
「いくらなんでも、それは……さすがのボクも途中でチャクラ切れで倒れると思います」
 そうだよねぇ、と言いながら、カカシは苦笑した。
「三代目が、草場の陰で惜しんでるだろうなと思うとね……」
 それよりも何よりも、茶の葉の輸出が経済を支えていた人々の、今後の生活が懸念されるのだが。
「僕はカカシ先輩の方も、心配ですけどね」
 微かな気の乱れや安定しない精神状態を指摘されているのだろう。カカシは現暗部の若手では、最も力のある後輩に頭を垂れて見せた。
「ま、俺も自信はない。本来なら俺はおまえに仕切って欲しいんだけど、五代目にこっぴどく怒られちゃってさ……」
「自分の尻拭いは自分で……ですか?」
 女声に問いかけられる。カカシは肯定した。
「私は、優しいカカシ先輩、嫌いじゃないですよ。嘘かもしれないと思っても、人の言葉を信じたくなることってありますよ。疑うばかりじゃ里のためにも闘えなくなる。本気の恋だって、してもいいと思います」
 そういう彼女は恋人を数年前に失っていた。
「もしかしてさ、おまえら全部聞いてたの?」
 無言の応えにカカシは溜息した。
「……まったく特殊部隊の面子ってこれだから油断ならない」
 聞かなかったことにして、と告げるカカシに二人は面同士を見合わせる。
「あのぅ、カカシ先輩が男の人なんて、私はあまりに衝撃的で、忘れようにも忘れられないというか……」
「ほんとに、それでどうして、よりによってあんな堅い人……」
 カカシは首を横に二度振った。
「忘れるから。自分の尻拭うまではさ」
 むしろ忘れさせてくれ。この仕事が終るまでは。
 そう願い、カカシは闇の先を睨んだ。低く言う。
「散!」
 三つの陰は雨が落ち続ける闇に溶け込んだ。


2006.04.30



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